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人とのつながり
Free-PhotosによるPixabayからの画像

今日遊びに来てくれたのは小学生からの友人です。
あだ名は「相棒」。
「友情とは二つの肉体に宿れる一つの魂である」と言ったのは、かの有名なアリストテレス。
たくさんの大切な友人がいる中で、この「相棒」と、お互いを「ソウルメイト」と認め合う親友だけは、少し特別枠です。

相棒のところとは、子どもも丁度、上が同い年、下も一つ違いということで、子ども達も仲良しです。
実家に帰った経緯を報告した時に「なんでそんな大変なことをもっと早く言ってくれんかったん、馬鹿!」と怒った友人が、相棒です。
報告した次の休日にはさっそく顔を見に来てくれ、その時に初めて子ども達同士は会ったのですが、初めて会った時から意気投合しいつも楽しく遊んでいます。

小学校の6年生で転校してきて同じクラスになり、同じ吹奏楽部と合唱部を兼任し、中学時代は全国大会に出るような合唱部だったので、長期休みもほぼ休みなく、毎日登下校を共にしました。
薄暗くなった帰り道を、こっそりと隠し残した給食のパンを食べながら帰り、休みの日には相棒の家に入り浸り、私の家にはゲーム機がなかったので、相棒宅で何本のRPGをクリアしたことやら。

高校に入り、私が病気になり学校を中退することになった時にも、体調のいい時には相棒宅に招かれ、もう一つの家族のような関係を築いていました。相棒が学校に行っている間に、同居していたおばあちゃんと一緒に夕飯のロールキャベツを作ったことも良い思い出です。

相棒は私の顔(というか頬)が異常に柔らかく伸びることが気に入っていて、よく私の顔を触っていました。小学生時代に「(名字)マン」というあだ名をつけたのも相棒です。
スーパーマンのマン、アンパンマンのマン、まんじゅうのマン。
友人の高校の文化祭に招かれた時に、見知らぬ人(相棒の友人)から「○○マンさんですか? 頬っぺた触らせてもらっていいですか!?」と興奮して言われたのもいい思い出。
一体相棒は、別の高校に通っていたにもかかわらず、見知らぬ新しくできた友人相手に対して、私の事をどういう風に紹介していたのかがわかるエピソードです。

まぁ、そんな相棒達が遊びに来てくれました。
相棒はアクティブなので、毎回全力で子ども達と一緒に遊んでくれます。
今回も縄跳びにバトミントン、ボール遊びと、うららかな春の日差しの中で子ども達と遊び倒してくれました。
私も途中までは一緒に外に出、遊んでいる子ども達の写真を撮ったりしていたのですが、途中から動悸と眩暈が酷くなり、先に家の中で休ませてもらうことに…。
薬を飲んでソファに横になっていると、連日の来客の疲れが出たのかうとうとと…。
結局、相棒達が帰る時間になって起こされるまで、ずっと眠ってしまっていました。

来客中に寝るなんて失礼極まりない話ですが、それを許してくれるのが古くからの付きあいである「相棒」という存在。

そういえば私が中学時代に長期入院した際も、暇つぶしにと「王家の紋章(ものすごく長い漫画)」を持ってきてくれたことも思い出します。
「 十二才の時のような友達はもう二度できない…」というのは、かの有名な映画スタンドバイミーのラストシーンの名台詞ですね。
「 友人とは、あなたについてすべてのことを知っていて、 それにもかかわらずあなたを好んでいる人のことである」と言ったのは、エルバート・ハーバード。
子どもの頃からの私の弱さも強さも、甘えも醜さも全て知っていて、10年会っていなくても3日ぶりのように、何の違和感もなく会うことのできる友人。
一番多感で不安定であった12歳の頃を、毎日のように一緒に過ごした友人。

そんな彼女と、縁あってまた頻繁に会えるようになったのは、実家に帰ったからこそ得られたものの一つかな。
帰り際「また夏休みおいでな」という父に「その前にまた来るよ」と言って帰っていった相棒。

GWにたくさんの友人が訪ねてきてくれましたが、それぞれが本当に大切な宝物です。
12歳という特別な時期を一緒に過ごした友人。
大学時代、ただの学友ではなく武道を通し共に正道を求め、互いに自己研磨しながら、切磋琢磨する日々を過ごした友人達。

なんだかここ最近毎日のように書いているような気がしますが、私は本当に友人に関する縁には恵まれています。
夫ですら、不倫相手と出会い人格が崩壊するまでは、互いに高め合える相手だったのですから。
今までの人生、出会えた全ての人に、感謝です。

このblogを読んでくれているあなたにも。
不思議な縁でここに辿り着き、ネットというものを介して出会えたことに感謝です。

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